そしてこの物語は、悠久の孤独を生きる時の精霊に、少女が捧げた物語。
暇つぶしに過ぎないけれど、少女にとっては最も大切な、小さな夢の話。
Φ 時の暇つぶし Φ <1>
人気の無い石畳の広場に、予鈴の音が響いた。
それから一時もせず、一日の授業を終えた生徒達が、校舎から一斉にあふれ出て来る。
ここは、ロード国立魔法学校の分校のうちの一つ、カーマルイス魔法学校。何故その名がついたのかという問いに答えると、その名の通り、この地がカーマルイスという名を持っているからだ。カーマルイスは、都会ほど賑やかでは無いが、田舎ほどしーんとはしていない、ごく普通の町。市場の方へ行けば、それなりに賑やかで、学校の裏手の方には、黒森と呼ばれる森が広がっている。そんな普通の町の、普通の魔法学校の生徒達の中に、珍しい色をもった少女がいた。
その瞳は、新緑の季節に見られる、若葉の色。少し深みがかかった緑の髪は、時折光に透けて、美しい黄緑色にも見えた。年齢の程は十二程度だろう若草色の少女は、談笑しながら帰って行く級友達には目もくれずに、自分の家まで走って行く。その腕には、大事そうに古い本が抱えられていた。
「聞いて母さん、新発見!!『時渡り』について!」
家のドアをバンと音をたてて開けるなり、少女は叫んだ。そして、腕に抱えていた本を、中にいた女性に見えるように高く掲げた‥が。
「はいはい、分かったから、早く宿題をやっちゃいなさい。【『黒森』に自生する植物について】のレポートが出たって、昨日言ってたでしょう」
彼女は、全く取り合おうとせず、まだ終わっていないらしい、魔法学校の宿題をやるよう指示する。むっと顔をしかめ、少女はふて腐れた。
「だって、あんな簡単なの、すぐ出来るし‥」
嘘ではない。魔法学校の筆記の成績がいつもトップである彼女にとっては簡単なのだ。暗闇で光を発するホタルダケや、涸らし木についての考察を書けという宿題。他の子供には数日かかるレポートも、彼女の手に掛かれば、数時間足らずで終わってしまう。
「すぐに出来るなら、今やってしまいなさい、リル」
正論を言う母親に、少女―リリル=ソルスィエは、ぐっ、と蛙が潰れたように詰まり、後退った。しかし、直ぐに立ち直ると、直ぐに出来るんだから今じゃなくてもいいんです!と、母親とは全く対極の意見で誤魔化した。
「ねっ、本当に本当!!凄い、歴史的大発見なんだって、頼むからちゃんと聞いてよ」
自分の服の裾をつかみ、尚も食い下がる娘を見て、母親―ルオーヴァ=ソルスィエは呆れながらも、とうとう降参した。
「あ、あんたねぇ‥‥もう、分かったわ、ちゃんと聞くから。で、何が大発見なの、リリル研究員?」
「あ‥えー、ごほんごほん。今回わたくしが報告致しますのは、伝説の偉大なる魔導師、『時渡り』についての新説であります」
リリルは、わざとらしく咳ばらいをすると、勿体ぶった口調で、『時渡り』の伝説を語り始めた。
―時は、星歴900年頃。今からおよそ、800年近く前の事。
深く、暗い森の中に、子供が一人、迷い込んだ。
魔力のなかった子供は、魔法を使って抜け出すことすらできなかった。
子供が森の中をあても無く彷徨っていると、不思議な楽器の音色が聞こえてきた。
不思議な音色に誘われるように歩いて行くと、木々が開けた所に、美しい泉があった。
子供がゆっくりと泉に近づくと、泉の中心に誰かが立ち、奇妙な形の楽器を奏でていた。
その人物は、小柄で深い緑の帽子を被った、魔導師の様な格好。
『彼』は、自分は時を渡り、ここに来たのだと言った。
子供は、『彼』に色々な話をした。自分に魔力がないことも。
そして『彼』は、子供の願いを叶えた。
その子供が後の大魔法使い、ロード国立魔法学校の創設者である、シディアン=リゼ=ロードクロサイトだ。
彼は、その時の魔導師の事を、『時渡り』と呼び、多くの人にその伝説を語った―
「はいはい、それはもう毎回毎回で、聞き飽きた!で?それで終わり?」
母が吟遊詩人のような口調で語るリルの話に、口をはさんだ。
「これからなんだってば、黙って聞いててよ」
リルは腰に手をあて、不機嫌そうに言った。
「はいはい。でも、私も忙しいんだから、サクッと手短にお願いね」
母のあまり気の無さそうな声を聞き、リルは眉間のしわを深める。わざとらしく大きな咳払いをした彼女は、口調を通常に戻して、自分の考察を述べ始めた。
「でさ、伝説についての本に、泉について書かれてるけど、肝心の場所は書いてないでしょ。伝説を信じて欲に目が眩んだ人に、自分にとって大切な場所を荒らされたくなかったんだろうけど」
「リル、学校の歴史で習ったことを忘れたの?泉は、レゼルワーツの魔法学校本校の中にあって、今も大事に守られてるでしょう」
彼女の母親は呆れた様に言うと、椅子から立ち上がり、側に在った棚から厚い本を引っ張り出した。パラパラとページをめくり、そこに載っている絵に指を置きながらリルに見せる。そのページには、整備された白い石畳の中心にある、美しい泉が描かれていた。
「ほら、この泉。願い事が叶うとかいうから、けっこう一般人も来るわ‥‥まあ、もう本気で信じている人なんて全然いないから、単なる縁かつぎみたいなものだけど」
投げやりな口調で言った母に向かって、リルは突然大声を上げた。
「違う!私嘘なんか吐いてない!みんなが信じてなくっても、『時渡り』は本当に居るの!!」
今までずっと、『時渡り』の伝説を調べてきたリルにとって、その言葉は、母がまるで自分自身を否定した様な思いがした。あの伝説は嘘なんかじゃ無いのに。私が一番分かってるのに。
リルは、手のひらに爪の後がつくほど、拳を強く握った。リルの剣幕に、淡い赤の目を見開いていた母は、目を閉じながら深くため息を吐いて、言った。
「‥‥ごめんなさい。ええ、分かっているわ、リル。『時渡り』の伝説は、確かに史実にも残っている、実話よ‥‥でもね、いくら魔力が高くても、時を渡ったり、魔力の無い子供を偉大な魔法使いにするなんて、途方も無い力が必要なの」
「でも、『時渡り』にはそれが出来た。その『途方も無い力』を持った、偉大な魔導師だったんだから」
諭すように言う彼女に、リルはまたも反発した。
「そう、『時渡り』は偉大な魔導師だった。だからこそ、人は彼の存在を信じようとしない。皆、自分の想像もしない力を本能的に怖がっているの。自分の中での『真実』を、人は守ろうとする。それはリル、あなたが『時渡り』を否定されて怒ることと同じ」
「でも、嫌なものは嫌だ!私は、みんなに信じて貰いたいのに」
リルは眉間にしわをよせて首を振る。古来より神懸かったものをいっさいがっさい信仰してきた人間の信心深さは、一体何処に置いてきたの、と呟く。茶色の髪をした魔女は、ぶつくさ言い続けているリルの頭にぽん、と手をおいて、でもね、と続けた。
「無理にあなたの『真実』を他人に押しつけようとしてはいけない。皆が信じてくれなくても、その代わり、私は『時渡り』の伝説を信じてる。あなたを信じてるわ。それじゃ駄目?」
「だ‥だって‥‥‥」
リルは居心地悪そうにうつむいて、木目の床にあるしみを数えるが、母の視線が否応なしに伝わってきた。紅の双眸にたっぷり30秒間見つめられたリルは、とうとう心の中で白旗を揚げた。
「‥‥‥‥うぅぅ‥‥分かったよ‥分かりましたよぉ!!‥‥でも、完璧に妥協した訳じゃないからね!分かった!?そこんとこ!!」
「うん、分かった、分かったわ。ありがとうね、リル」
母はおかしそうに笑い、リルの頭をくしゃくしゃと撫でた。そのため、頭はあちこちで髪がはね、鳥の巣のようになってしまった。勿論、被害者のリルはなにすんのー!と必死に頭を抑えつつ抗議の声を上げたが。
「ねえリル、ところで『発見』っていうのは?母さんまだ、誰でも知っていることしか聞いてないんだけど」
本題に戻って娘に質問をした母だったが、本人はそれどころではなかった。あちこちほつれてしまった髪を手櫛で真っ直ぐにしようと悪戦苦闘していて、彼女の話など耳に入っていないのだ。
「もー、ぐしゃぐしゃ‥」
「とうっ!」
「痛っ!?」
母のチョップが頭に決まったリルは、うぅ〜〜、と恨みがましい声を出した。右手をぴしりと挙げたままふんぞり返る母は不遜に笑った。
「母の話はちゃんと聞きなさい」
「ぐぅぅっ、この鬼ーー!大体誰のせいだー!性悪魔女っ!」
「じゃあその性悪魔女の娘はそれを超える超悪ね」
「いえいえ、天使のように純心で清廉です」
「ふぅ‥‥」
「何そのため息」
「何でもないわ。本当に何でもないわごほごほごほ」
「態とらしく咳をするなーーっ!‥‥‥ところで、本当に忙しいの?お母さん」
「まあ、それなりにね」
リリルの冷たい視線が、こんな実りのない会話をしている暇があるのかと暗に問うが、それをさらりと受け流すように、紅色の目の魔女は飄々とこたえた。
「で、何なの?発見って」
「そうそう、それなの!!発見は二つあるんだけど、一つ目は、泉の場所はさっき言ってた、レゼルワーツじゃ無いってことなの」
「‥え?だって、教科書にも載ってる、有名なことでしょう」
「それは多分ロード様が泉の場所を隠そうとして、別の泉を皆に教えたんだと思う。場所とか、特徴とか、凄く似てるけど、違うの。例えば、水質!」
「‥そういえば、前に私がそこに行ったとき、『泉の水をとってきて』とか言ってたわね」
「伝説についてもっと詳しく載ってる本で、泉の底に、変な形の、青色の石が沈んでいたらしいの。本とかでは蒼苔石だって言ってるけど、私が思うに、その石はウロコ石」
「ウロコ石ってあの、水質によって色が微妙に変わる、アレ?」
「アレ。ウロコ石ってかなり有名な石だけど、かなり自然が残ってる、綺麗な水のあるところじゃなきゃ青くはならないっていうでしょ?」
ウロコ石が変わる色は、黒、白、赤、青、緑、黄色、果ては茶色から紫まで様々だ。第一、本に書いてある蒼苔石は、石に生える種類の蒼苔が絶滅した為に、もう確かめようもない。しかしリルは長年の研究で、蒼苔石は流れの穏やかな場所には殆ど存在しなかった事を突き止めた。つまり、蒼苔石が泉の底にあるはずが無いのだ。
「しかも、余り知られていないけど水温とか他の条件も関係してる。つまり、田舎にいないと、この石の存在すら頭に浮かばないから、都会の研究者はこの石のことに気付かなかったんだよ」
それを聞いた母は、小さく溜息を吐いて呟いた。
「‥‥リル‥今更だけど、あんた、凄いわね」
「どういたしまして。それで、お母さんに採ってきて貰った水にウロコ石を浸してみたら、なんと。緑色だったんだよね」
「‥800年も時間が経てば、水質も変わるわよ」
「でも、790年くらい前、リレルヴァートシティの泉に、彼とその仲間達が保全の魔法を掛けた、って教科書には書いてあったよ。10年やそこらでウロコ石の色がそこまで変わるなんて有り得ない。だからそもそも、辻褄が合わないじゃん」
「‥‥あぁ、そう遠くないところに出張に行ってるあなた‥リルがついに都会の研究者を抜いたわ‥‥‥」
「うふふ、誇りなさい。それと、もうひとつはね」
そう言うと、リルはテーブルの上に置いた古い本に手を置いて、言った。
「この本は、ずーーーーっと昔の、月の満ち欠けの記録がしてあるの。それでね、伝説の記述を見る限りでは、『時渡り』が最初に現れたのが、800年前の満月の夜。それで‥‥」
「ちょっと待って、リル。今、“『時渡り』が最初に現れたのが”って言った?」
母が、本の上に乗ったリルの手を掴んで、言った。
「‥‥うん。確証は無いけど、『時渡り』は、多分200年の周期で、『過去』に来てる。‥‥ほら、コレ見て。大体200年位ごとに、偉大な魔導師が生まれてる」
彼女の開いた歴史年表、赤い線の引いてあるところを見ると、
星暦902年、“魔法学校の父”、ロードクロサイト生誕。
星暦1108年、“東風”、クラウト生誕。
星暦1312年、“魔導の花”、リーリカレア生誕。
星暦1498年、“茨王”、クロネリア生誕。
これらの有名な魔導師の名が連ねてあった。その事実に瞼を震わせながらも、母親は小さく首を振った。
「リル、それは‥‥歴代の偉大な魔導師様達が、皆、『時渡り』に力を貰っていた、ということ‥?でも‥、それならもっとたくさん伝説が残ってる筈」
「だって、いちいち自分の体験伝説にしてたらさぁ、後生の子供達が可哀想じゃん」
「?」
意味が分からなくて頭上にハテナマークを浮かべている母に、リルはさも当然のように言った。
「歴史で学ぶ内容増えるし」
呆れてものも言えないという表情の母を見て、リルはくすりと笑った。
「冗談。多分、伝説はあれひとつだけで十分と思ってたんじゃないかな。神聖な場所は、荒らしちゃいけないんだよ」
「それなのに極悪非道なリルは、魔導師様達が守ってきた秘密を暴露しようとしてるわけね」
リルは、さらりと辛らつな台詞を吐く母に、笑いながら違う違う、と否定する。
「私は、伝説を確かめたいだけ。泉の場所が分かっても、母さん以外に言わないよ」
「あれれ、私には言うの?」
リルは、おどけた口調でからかう母に向かって、小さく舌を出すと、悪戯っぽく言った。
「だって努力を認めてくれる人が居なきゃ、つまらないじゃん!」
年相応に笑う娘の様子を見て、母は思わずぷっと軽く噴出した。
「ふふ、リルらしいわね。ま、頑張んなさいっ!」
彼女が力を込めて、ばんっと背中を叩くと、リルはぐああっと女の子らしくないうめき声を上げ、軽く前につんのめった。
「ぐふっ‥‥りょ、了解であります!」
苦しげにした後、びしっと敬礼のポーズをとり、リルはトスンといすに座って、再び話し始めた。
「で、何度も話が逸れちゃったけど続きから話します。今年は、星暦1712年‥‥‥つまり、最後の『時渡り』の到来が計算だと1512年だから、丁度200年目でしょ?」
「‥‥そうだったの‥‥」
「ハイ、ここで問題。同じく200年周期でもうすぐ訪れるモノは何でしょう?」
「‥‥‥大満月の夜?」
「正解!つまり、次に時渡りが現れるのは‥‥‥‥!」
リルは両手をぎゅっと握りしめて、息を吸い込んだ。
「よ」
「四日後の炎夜祭の夜ね」
「あ゛ああああああああぁぁっ!!!」
言おうとしていたとっておきの台詞を母親にとられたリルは、盛大に抗議の叫びを上げた。
「あら、どうしたのいきなり叫びだして」
凶悪な笑みでうふふふふふふふふ、と笑う母を恨みがましい目で見ながら、リルは小さく溜息を吐いた。
さあ、これから忙しくなるぞ。
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